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2011/03/20

赤松林太郎・墨東より時をたずねて(24) ― 2011年春号「こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon」

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【こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon 2011年春号】

※エッセイ本文は↓↓↓

ちょっと憂国

 コンサートのために訪れたロシア第二の都市で見たものは、とても信じがたいものだった。(私が練習させてもらった)中央音楽学校は音楽院の予備段階の学校なので、各部屋から漏れ聞こえてくる音は少年少女が演奏しているものだった。日本にいてはとても体験できないような、まさに世界のトップクラスの「音」で溢れていた。しかし、その「音」は恵まれた環境によるものではなく、象牙鍵盤のいくつか抜かれていて、装飾用の燭台は当たり前のように盗まれている古いピアノなので、調律はおろか、何の調整も加えられていない楽器がほとんどだった。中には、ペダル板まで盗られたピアノもあった。トイレの便座や鏡はもちろん、蛇口の取っ手まで行方不明。他、駐車中にタイヤが盗まれたような車、鎖ごと持って行かれたブランコ、そういう盗品を白昼堂々運ぶ男たち・・・これらは10年前の話ながら、だからといって今日の状況が激変したとは思えない。

 それでも、ロシアの「音」は変わらず豊かなのである。私自身ヨーロッパで長年戦ってきたので、国際コンクールにエントリーするたび、彼らの大陸的なスケール感や圧倒的なテクニック、そしてそこから紡ぎ出される豊穣な音楽の前に屈服してきた。あるレヴェル以上のコンクールになると、1位はおろか、上位に食い込むのも至難だった。そして今、10年前に少年少女だった天才たちが、世界で一斉に開花し始めた。当時から知っている名前を日本で見た時には、私の中で完敗を認めざるを得なかった。彼らのハングリー精神は、私たちの知っているものとはあまりにも異質なものなのだ。勝てなければ生きていけない、いつも<生きるか死ぬか>のところで勝負している。たかがピアノ一つなのに、命を賭けている。賭けざるを得ないのが、大陸という戦場なのだろう。「草食系」という言葉が流行っている国の勝算は、残念ながら極めて限定的である。日々のニュースに触れるたび、私はロシアでの数日間を思い出し、また戦場に戻りたいという衝動に憑かれる。

【写真】 2000年6月、サンクトペテルブルク国際音楽祭「白夜祭」に出演した時のものです。真夜中の太陽は、地平線すれすれのところで軌道を描いていて、まるで満月のようでした。

執筆 掲載記事

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