3/8/2008: 快晴(東京)
「ただならぬ中に身を置こうという希望は達成できた」「一期一会の気持ちで、最後の音が消えうせるまで闘い続けた」という山下洋輔さん、「世界的なジャズピアニストの山下洋輔さんが8日、石川県志賀町の海岸で、古くなったピアノへの感謝と供養の思いを込め、激しく燃えるグランドピアノを演奏した」と報道する新聞記事。
あえて書かせていただくが、世界的な山下さんだから何をやってもよいのか、それを「熱演」と囃し立てる記者たちの神経が、私にはまったく理解できない。これをシュールなアートだと言うのであれば、まったくの欺瞞にすぎない。
ピアノを愛する者なら誰もが、この光景に傷ついているはずである。いかに古いピアノであっても、ピアノは生きているのである。人の心を打つことはできるのである。山下さんや記者たちには、ようやくの思いでグランドピアノを買った人間の気持ちなど、微塵も理解できないのだろう。
少なくとも私は失望した。彼の演奏を二度と聞くことはないだろう。
売れている方なので、何をやってもいいということなのでしょう、結局のところは。
日本は本当に情けない国です。
織り成す音を大事にしてもらいたいと思ってしまいました。
アイドルのように着せ替えては捨てて供給していく今の業界です。
あるDJが言ったことが忘れられませんが、「かわいい子は適当に弾けたらいいんだよ。アホっぽいほど使いやすい」とのことです。
話は戻りますが、山下さんは教祖にでもなりたかったのでしょう。救いがたい醜態です。
音楽以前に、彼からはもはや何も伝わってきません。少なくとも私に限ってのことですが。
お茶を習い始めたのでちょっとは禅について話を聞いてますが、
一期一会って意味、違ってるんじゃないですかね〜?
限りある命、私もあなたもお茶碗も明日どうなるか誰にもわからない。だからこそこの共に過ごす時に誠心誠意をつくし向き合う。
そこには最高の思い遣りがみちあふれているはずです。
音楽はいつもいつだって、どんなシチュエーションだって一期一会ですよね。空間を振動させて消えていく音たち…
でも心に何かを残していく。悲しみを残されてはたまりませんね。
確か「ピアノが憎くてピアノを叩き壊すのか」といったエッセイも書かれていたはず。
山下さんのエッセイを読めば考え方のヒントがあるかもしれませんが、理由があれば何をやってもいいということじゃないでしょう。
私も不愉快です。映像見なくて良かった。
こういうことに、もっと怒るべきだと思うのです。
「使い捨て」の時代を反映しているのでしょうか、感謝の念はまったく伝わってきませんね。
しかも生きてるピアノを……
燃えるピアノを演奏することにどんな意味があるのか?
私には全く理解できません。
なんというか…どうしてこれが「感謝」と「供養」なのか…。本当に感謝を表すなら、もっと他に方法があると思うのですが。自分がピアノだったら、と思うと、絶対成仏できない気がします…。
「ただならぬ中に身を置こうという希望は達成できた。熱いのは大丈夫だけど煙は怖いですね」という山下さんの感想に、身の毛がよだちました。
どう考えても、美しい夢を見ることは難しいですね。
ご本人のコメントを直接聞いていないけど、
終盤のピアノの悲鳴というか断末魔は、オレは聴くに耐えません。
供養したいなら、こっそり勝手にプライベートでやってほしい。
あまりにもショックで言葉を失いました。
どんな状態のピアノであっても、懸命に人々の心に響くようにと全身全霊をピアノに向けているピアニストがいる傍ら、
マスコミ受けのパフォーマンスとしか思えないこのようなピアニストもどきもいるんですね。
世間一般で売れていると言われているからといって、これはおごりや傲慢の何物でもないと思います。




