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2010/03/20

赤松林太郎・墨東より時をたずねて(20) ― 2010年春号「こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon」

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【こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon 2010年春号】

※エッセイ本文は↓↓↓

愛の讃歌

 木曜日の夕暮れが待ち遠しかった。
 どういう経緯でそうなったのかはともかく、木曜日は仕事帰りの父を迎えに行く日になっていた。阪急岡本駅の近くにあった音楽喫茶で、父はいつも何かの交響曲を聴きながらウィンナーコーヒーを飲んでいた。私の楽しみといえば、添えられていたシナモンスティックで生クリームをすくって舐めることだったが、運が良ければクーヘンにありつくことができた。
 妹たちを子分のように引き連れて、夕暮れ時の下町を歩くのは実に英雄気分だったが、それ以上に、私は父が待つ重たい扉の向こうの世界に一人心ときめかせていた。薄暗い店でソファーに座って、父と黙って音楽を聴く木曜日のたびに、私は身長が少し伸びて大人に近づいていくような気持ちがしていた。そして何よりも、父のことが大好きだったのだと思う。

 私の父と母は、大学時代に学生オーケストラで知り合った。父はチェロ、母はヴァイオリンを弾いていた。
 当時は今のように何でも手に入る時代ではなかったので、地下の音楽喫茶にこもっては手書きで写譜をして、大学の輪転機でコピーをかけては製本するような毎日だったと聞いている。父から譲り受けたミニチュアサイズの楽譜には、50円という値札が貼られている頃の話である。たかがアマチュアが音楽をするにも、両親の時代では今日以上の情熱や時間が求められていた。
 普段は口数の少ない父だが、音楽のこととなると熱を帯びた口調で話し始める。そういう時、私は自分のルーツをはっきりと両親の中に認めるのである。

 ある日、結婚した頃の父と母のアルバムを開くことがあった。当たり前のことだが、そこに写っている両親は今の私よりもずっと若かった。写真はすっかり褪色してしまった分だけ、両親の初々しさだけを際立った印象として留めていた。自分の知らない親の姿を見つけると、驚き以上の衝撃を伴うものである。
 その中でも忘れがたい一枚は、結婚式の二次会で父と母がデュエットを披露した時のものである。どこかのレストランか喫茶店だと思われるが、譜面台を立てて向かい合って演奏する二人は、どことなく体を強張らせて、険しい表情をしていた。構図的にも、打ち解けたものというよりはむしろ緊張感が伝わってくるようなものだった。父と母は、「愛の讃歌」を演奏したという。

 私の両親は「愛の讃歌」をよく演奏していた。切なくも甘く美しい旋律が大好きで、母に特徴的だった高音のビブラートは、今でも耳の奥で響いている。ただし、その写真から察せられる音色に限っては、伸びのない堅いもので、私が子どもの頃に聴いたものとはおよそ異質の印象を与える。
 私は音楽に囲まれた幸福な環境で育ったが、結婚してからの両親の苦労を知らないわけではない。この写真を見つけた時、音楽によって結ばれた父と母が私に音楽を与えて、無限に支えてくれた長い年月のことを思った。妹たちもそれぞれに、音楽を人生の血肉とする生き方を選んだ。
 今の両親を、私はとても安心して見ている。とてもいい響きを奏でているからである。そういう両親を少し離れたところから見られる歳になった今日、私にとって音楽は愛であり、愛は音楽なのだという生き方への迷いがなくなった。そういう思いの結晶として、私も音楽を続けていくのだろう。

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