
ロマン・ロランはベートーヴェンの生涯を嵐の一日に例える。そして悲しいほどに美しい文章を残している。
けれども一八一〇年以後、魂の平衡は破れる。照らす光が奇妙なものになって来る。最も明るいさまざまの思想からあたかも水蒸気のようなものが発ちのぼるのが見られる。それらは散ったり再び集結したりしながら、憂鬱な気まぐれな曇りとなって心を翳らせる。音楽的な意想は、靄の中から一度二度浮かび出たかと思うと再び靄に呑まれてまったく消滅したかのように見えることもしばしばである。そしてそれがもう一度現われ出るのはただ楽曲の終わりに突風的にである。快活さそのものが一つの厳しく野性的な特性を持ち始める。あらゆる感情へ苦味がまじり込む。夕闇が降りてくるにつれて、嵐は集積する。そして今や、稲妻を荷って膨脹している重い真黒な雲の団塊、―それが『第九交響曲』の最初の部分である―大旋風の最高潮において急に闇が裂けて、無明が天空から追い出され、意志の行為によって昼の光の明澄さが取り戻される。(『ベートーヴェンの生涯』より)
ウィーンに定住した1793年からの数年間、ベートーヴェンの人生は追い風に帆を揚げた船のようなものだったが、ベートーヴェンの人生には、初めから幸福など許されていなかったのだ―耳鳴りを伴った難聴の兆し。
やがて彼の人嫌いが始まるのだが、ちょうどその頃、ハンガリーのブルンスヴィック伯爵家の人々を知ったことはベートーヴェンにとって救いだった。1799年当時、当主フランツ、姉テレーゼをはじめとする4人兄弟は青春を謳歌しており、皆がベートーヴェンの純粋な崇拝者であった。彼が仕事に専念できるよう離れ屋まで設えられたほどの歓待ぶりで、ブルンスヴィック家の従妹にあたるジュリエッタ・グイッチャルディは持ち前の積極性で、ベートーヴェンにせまるほどであった。
1801年の夏、ベートーヴェンは耳の不調について、初めて親友のカール・アメンダとヴェーゲラーに手紙で知らせている。その手紙の中で「愛らしい魅惑的な乙女」が自分を愛してくれるおかげで「少しは幸福な時を味わっている」と告げている。
「月光」ソナタを捧げられたこの乙女は、やがて別の男性と婚約してしまい、失意のベートーヴェンは翌年に『ハイリゲンシュタットの遺書』を書くに至る。
2005年10月上旬、ブダペストは暖かく穏やかな日が続いた。まもなくやってくる厳寒の痛みなど知らない無垢な少女の笑顔が、ドナウ河に映されているかのようだった。
ある土曜日の朝、私は日本人の駐在員の方に連れられて、マルトンヴァーシャールという街までドライブした。ブダペストから車で半時間、今では小さな街だが、ここにはかつてのブルンスヴィック伯爵家の邸宅がある。美しい公園の中に建つネオ・ゴシック様式の宮殿の一角は、今日ベートーヴェン博物館(Beethoven Emlékmúzeum)となっており、音楽写真家の木之下晃氏のロングセラー『ベートーヴェンへの旅』で詳しく紹介されている。
さて、この地の客人となったベートーヴェンは、1804年からブルンスヴィック家の2番目の娘ヨゼフィーネへの恋に情熱的になる。ベートーヴェンが、ダイム伯爵と死別して未亡人となった若き薄倖の美人に心を寄せたのは、自然のなりゆきである。
ロランは『ベートーヴェンの生涯』の中で、マルトンヴァーシャール期のベートーヴェンを「獅子が恋をしているのである。獅子は爪を隠す。しかもこんな戯れの背後に、『第四交響曲』の幻想と情愛との背後にさえ、恐るべき力、変わりやすい気分、激しい気性の伏在が感じられる」と綴っている。
また、ロランはこの幸福な時期を『交響曲第4番』に象徴化させ、「彼の全生涯の最も静穏なこれらの日々の薫りをとらえて漂わせている浄らかな一つの花」とも呼んだ。
宮殿の庭園には池が水を湛えて、その周りの豊かな緑は太陽からの光を一身に受けている。世間の目を憚ってか、ベートーヴェンはヨゼフィーネに一曲も献呈することがなかったが、この時期の旺盛な創作活動を見る時、彼女の存在がいかにベートーヴェンの精神世界へ大きく働きかけていたかを知ることができる。
ジャンケレヴィッチがドビュッシーの幻想世界への良い導き手であるように、ロランはベートーヴェンの魂と共にあらんことを呼びかけてくる。
しかし、「夏のひと日の神々しい夢想」というロランの表現は、ベートーヴェンをまもなく襲う古典的悲劇を十分に予感させている。1805年に完成された「熱情」ソナタはヨゼフィーネの兄フランツに献呈されているが、この曲をヨゼフィーネは一体どのような想いで聞いたであろうか? 「不滅の恋人」が一体誰なのか、という論争は今なお続いているが、いずれにせよ誰か「不滅の恋人」の心を悲しませたことはおそらく事実であろう。
この楽譜にはインク染みが残されているが、これはリヒノフスキー侯爵邸での演奏を拒んだベートーヴェンが、大雨の中を飛び出した時に鞄を濡らしたからだと言い伝えられている。
実らぬ恋と諦めたベートーヴェンはヨゼフィーネと別れ、1810年には求婚したテレーゼ・マルファッティにも断られ、本当に孤独の人になってしまった。マルトンヴァーシャールには、「不滅の恋人」への激しい恋の結末が刻印されている。そしてついに、運命の扉が開かれたのである。
【写真】 2005年10月8日、マルトンヴァーシャールのベートーヴェン博物館



