
さっぽろオペラ祭 札幌オペラスタジオ15周年記念公演「フィガロの結婚」
会場: 札幌市教育文化会館・小ホール
日時: 2008年12月5日(金) 開演18時30分アルマヴィーヴァ伯爵=柴山昌宣、伯爵夫人ロジーナ=小平明子(2幕)+千田三千世(3・4幕)、フィガロ=羽渕浩樹、スザンナ=柳生たみ(1幕)+東条磨見子(2幕)+佐々木有希(4幕)、ケルビーノ=小貫多喜子、バルトロ+アントニオ=鶴川勝也、マルチェリーナ=坪田由里子、ドン・バジリオ=相沢清、ドン・クルツィオ=安田哲平、バルバリーナ=三浦由美子
指揮=佐藤宏、演出=松本重孝、ピアノ=野村和可子+大内希+佐藤栄里子、チェンバロ=松岡亜弥子、合唱=フィガロ合唱団
札幌オペラスタジオは研修団体であることを目的としながらも、国内外のオペラ界で活躍している音楽家やスタッフを配しており、その実力派キャスティングが何といっても魅力的なオペラ集団である。私が個人的にファンである幾人も、今回のキャストに含まれている。
研修団体とはいえ、正統派を掲げて公演に取り組もうとする姿勢は、職人気質を思わせるほど一貫している。キャストの歌唱レヴェルは様々だったかもしれないが、ある一定の方向性を持って取り組むというはっきりとした総意が示されており、演出家の見事な仕事のもとで、舞台は有機的に仕上げられていた。
オペラを観に行って、本来のストーリーから切り離されてしまったような演出に、しばしば閉口させられることがある。謎かけのような舞台を作り、むやみに先鋭的な演出にこだわる演出家が少なくないからである。
それらの中に意義深い演出があるのも事実なので、たしかに一つの方法論ではある。
例えば社会派的な素材や深層心理を扱ったようなオペラであれば、ストーリーをふまえながらも、それとは違う発想で物語を進めることも可能だろう。あるいは徹底的に現代的要素を取り込んで、現代社会に即した問題提起をすることもできよう。
では、モーツァルトの場合は、『フィガロの結婚』の場合はどうだろう?
たしかに啓蒙主義的な思想が覗える作品である。意気込んで斬新な演出を試みる人もいるだろう。
『フィガロの結婚』にかぎらずモーツァルトのオペラ・ブッファは、登場人物の人間関係が入り組んでいたり、ストーリーが目まぐるしく展開するので、分かりやすいものではない。歌舞伎でいう四世鶴屋南北にも似たところがある。
しかし、モーツァルトの本当の難しさとは、彼の音楽が無類の完璧さを誇っていることなのだ。
『フィガロの結婚』における演出の失敗として、私は2001年のパリ・シャンゼリゼ劇場公演を記憶している(別項参照)。あれほど素晴らしいキャストを揃えた公演であったにも関わらず、顕示欲の強い演出がすべてを台無しにしたという例は、そうめったとあるものではない。モーツァルトに何かを付加しようとする試みは、その音楽を聞くだけで無用の長物だと悟ることになる。
モーツァルトに接する際に必要なのは、うまく表現することではなく、うまく無為になることではないかと私は考えている。
私たちが無為になった時、モーツァルトは舞台に降りてくる。うっとりとするような微笑みに満ちた音となって降り注いでくる。そのアガペーのような愛に祝福された音霊を感じる瞬間、モーツァルトの美は成就する。
今回の札幌オペラスタジオ公演には、素晴らしいモーツァルトが宿っていた。演出家の意図を余すところなく汲み取った柴山、羽渕の両氏を軸とした美しいフォーメーションは、終幕でモーツァルトを導くことに成功していた。
21世紀に生きる私たちにとって、やはりモーツァルトは最大の試金石なのである。改めてそのことを示してくれた本公演は、それだけで十分に有意義なものだった。
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