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2011/12/10

赤松林太郎・墨東より時をたずねて(27) ― 2011年冬号「こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon」

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【こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon 2011年冬号】

※エッセイ本文は↓↓↓

仙台の想い出

 この秋、東北に二度仕事で行った。すっかり元通りの生活を取り戻したように見える仙台の繁華街だが、ある地酒処で、「天賞」が震災の影響で会社をたたんだことを知った。私が知る「天賞」は大崎八幡宮の門前にある歴史的建造物で、仙台市立第一中学校でクラスメイトになった天江君の家だった。その頃は「天賞」がどういう日本酒なのか知らなかったが、彼の豪邸にはしょっちゅう遊びに行った。ちょうど今ごろの季節は、雪吊りをしている庭師たちの仕事を眺めながら、軒先に吊るされている干し柿をいくつも頬張った。番頭さんの顔は、今でも覚えている。

 「天賞」といえば、八幡さんのどんと祭である。どんと祭はいつも賑わった。私の悪友には二人の佐藤君がいたが、蕎麦屋の佐藤君と酒屋の佐藤君と三人で、門前の出店で手伝いをした。そして夜は、蕎麦屋の佐藤君の家で力そばをご馳走になった。いつも赤点必至だった二人の佐藤君は、学校では私をはさんで前後に座っていたので、テストのたびに答えをちらちら見せてあげていた。だから、遊びに行くたびに親御さんから感謝されて、そばを食べさせてくれていた。普段は具の入っていないかけそばだったので、どんと祭の時は餅が入っているだけで、ずいぶん景気のよい気分になった。もちろん親にも学校にも内緒である。

 八幡さんには伝統裸参りというのがあって、天江君の家がその様式や装束を保管していた。この裸参りは江戸時代、厳冬期に仕込みに入る杜氏が、醸造の安全や吟醸を祈って参拝したのが始まりだという。200年もの間、「天賞」が八幡さんの門前を守ってきたことになる。しかし、これはニュースを検索して知ったことだが、「天賞」はここの敷地を売却して、2004年から川崎町に移転していたという。「天賞」の社主や杜氏がいないので、今日は奉納酒もなければ、彼の家も残っていない。不景気、そして震災は、本当にいろいろなものを奪っていった。

 住んでいた頃は水が合わなかった仙台だが、大人になってから訪れてみると、この街の至るところに、多くのものを置き忘れてきたことを実感する。それが一つずつ見つかるたび、切ってはいけない根が仙台にもあるのだと強く思い知らされる。そうやって想い出は、本当の想い出になっていく。

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