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2011/09/20

赤松林太郎・墨東より時をたずねて(26) ― 2011年秋号「こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon」

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【こうべさんだ生活ART情報誌Chiffon 2011年秋号】

※エッセイ本文は↓↓↓

リストを弾くということ

 ショパンとリストは、ピアノを楽檀の主人公にした時代の寵児だった。とにかく美しい旋律を次々と生み出したショパンは、ピアノの詩人と呼ばれた。一方のリストも、「愛の夢」や「ラ・カンパネラ」でひけを取らない。私はリストが大好きだ。ショパンがピアノの詩人であるならば、リストは太陽のような作曲家だろう。88鍵を縦横無尽に使い、超絶技巧のかぎりを尽くして、愛や死、物語や伝説、大自然や宇宙までテーマにして、作曲した。彼は同時に19世紀を代表する名手だったから、演奏そのものも生きる伝説となった。

 リストは今なおピアニストにとっての憧れである。だから私が「リスト弾き」と言われることは、嬉しくもあり、怖いことでもある。私はパリで「マダム・リスト」と呼ばれたフランス・クリダ女史に師事した。彼女は女流ピアニストとして初めてリストの全作品を録音した人で、リストのことを誰よりも知っていたピアニストだろう。

 リストの超絶技巧は、あまりに高度であるにも関わらず、彼女はいつも「技術はいつも音楽の下僕でいなければならない」と言っていた。リストが描いたものは、難しい技術そのものではなかった。技術はいつも表現の手段でしかない。技術の難しさで終始するのであれば、リストの作品を演奏する必要がない、というのが彼女の言い分だった。

 私はこの夏休み、福島第一原発から20kmのところまで足を伸ばした。あまりに不条理で、解決策の見られない、言いようのない悲劇があるばかりだった。そこに横たわっていたのは、技術が心を失った結果だった。何かを誰かに責めたいのではない。ここに立つと、「私たちが責めるべきものは、私たちの内にある」ということを知る。この20km圏の境界が示しているものは、私たちが今後どのようにあるべきかという、もっと根源的なことのように思われる。リストが生誕200年を迎える今年、私は伝えなければならないものの大きさを感じている。

【写真】 2006年1月、ブダペストの旧リスト音楽院ホールで演奏した時の写真です。晩年のリストが私的に開いたといわれている音楽院には、たくさんの遺品が展示されています。

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