31/3/2009: 晴れ(東京)


私とマネージャーたちとは、「前夜祭」が不可欠なイヴェントになっている。東京には美味しいものが無尽蔵にあるので、それならば今回は、私の地元で舌鼓を打とうということになった。明日のホールが錦糸町にあるので、そのお膝元で験を担いでみるのも、きっと忘れられない想い出になるだろう。
「高くて美味しい」ではなく、「安くて美味しい」中華料理レストランというのは、見つけ出すまでが大変だ。いつだったかカウンター席でそんな話をしている時に、Mちゃんが教えてくれたのが「中国酒家 大三元」である。紹興酒を一滴も飲まなかったにも関わらず、この本格的な広東料理で酔うことができたので、Mちゃんは私たちの中ですっかり面目躍如だ。
中国酒家 大三元
所在: 東京都墨田区太平3-4-1 YSビル1F [MAP]
電話: 03-3625-9554
時間: 11:30〜14:30、17:00〜21:00
定休: 月曜日、第3火曜日
30/3/2009: 晴れ(東京)
明け方に夢を見た。夢の中の私は、チェロの音がするので目を覚ましたら、ブダペストで住んでいた部屋にいた。
私が住んでいたのは、ハンガリーが世界に誇るバルトーク弦楽四重奏団のチェリストの家だった。朝になると、いつもJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲やパガニーニの奇想曲が聞こえてきた。私がベートーヴェンのソナタを弾いていると、オブリガードが上階から聞こえてきたこともあった。何という幸せだろう。この夢のような共演が、実際にあったのだ。そこは今までに住んだことのない、天国のような住まいだった。
メズー先生が私の夢に出てきて、‘Happy Music’と言った。彼はいつも顔を赤らめて、まるで少年のように、この言葉を言っていた。ハイドンもベートーヴェンも、ボロディンもチャイコフスキーも、コダーイもバルトークも、彼にとってはすべて‘Happy Music’だった。だから、私は彼らのコンサートに行けば、いつも‘Happy Music’で幸せになれた。
デュッセルドルフで悩み、パリで苦しみ、ブダペストでようやく救われた。音楽は‘Happy Music’なのだと知ったから、私は音楽をする喜びを心でも身体でも感じることができた。だから、ブダペストに住んだことで、精神の勝利を知った。
何の不安も憂いもない、ただ幸せだけに包まれていたあの時・あの場所に戻りたい。心が折れそうになる時、幸せだったあの空間が私の唯一の支えになっている。
東京は私にとっては新しい街だ。幸せが漂流して、辿り着いた最初の島になる。流れ着いて1年半が経つが、この街で私がどう変わったかなど、今はまだ知る由もない。あの幸せのままなのかどうかも、正直言うと分からない。
だから、私は東京で‘Happy Music’を演奏しようと思った。ピアノを弾くことでしか、何も信じることはできない。すべての虚無を色彩で埋めてみせよう。すべての孤独を開いてみせよう。すべての不幸が嘘になる一日を祝福しよう。そうしたら、私は前進できるような気がする。


鶏手羽先の梅煮
1.塩・胡椒で下味をつけた鶏手羽元を、表面がこんがりきつね色になるまで焼く。
2.鍋に昆布を敷き、軽く焼いた鶏手羽元、大根、椎茸、梅干、日本酒を入れて、水をかぶるぐらい加えて強火にかける。
3.煮立ったら弱火にして砂糖を加えて、アクを取りながらさらに煮る。
4.煮汁が少なくなってきたら醤油を加えて、汁気がほとんどなくなるまで煮る。
28/3/2009: くもり後晴れ(東京)
先週は友人のS君とMちゃんの結婚式に呼ばれた。Mちゃんの実家は酒屋さんなので、披露宴では「上喜元」という、めっぽう美味い山形の酒が振る舞われた。
「酒屋の娘の結婚式に、まずい酒が出てきたらどうする?」という私たちの不安を見透かしたように、挨拶に回って来られたお父様は、してやったり顔だった。大変上機嫌だったのは言うまでもない。
「私が再婚する際は、ぜひ『死神』をお願いします」と所望したところ、真っ赤な顔をしたお父様からは、「悪乃代官」も併せて勧めていただいた。「死神」と「悪乃代官」を飲み干す披露宴というのも、天晴れなかぶきぶりだが、いつ・誰と・どこで結婚するかという目処がまったく立っていない身には、いささか夢物語ではある。
今日は「裏死神」を1合だけ飲んだ。「うら死神…どんな味がするのだろう」、店のブログでそう書かれている以上は、行って飲んでみたくなるが人の性。「死神」が裏を向いているので「裏死神」なのだが、その味は驚くほど澄んでおり、馥郁たる香りは「死神」以上かもしれない。
「死神」も「悪乃代官」も島根の加茂福酒造のもので、蔵元の落語好きから付いた名前だという。そこには澄みきった「裏」の世界があり、誘惑の本質のようなものが待っている。今日はそういう一本に出遇ってしまった気がする。
27/3/2009: 晴れ後くもり(東京)

「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という諺があるそうだ。桜は切ると衰弱し、梅は切らなければ良い花実が育たないという、昔ながらの剪定法を言ったものだが、今は事情が違うらしい。
全国の桜の8割を占めるといわれるソメイヨシノには「寿命60年説」があり、60年以上になると倒木の危険が増すという。花見客が多くて木の間隔の狭い名所ほど、寿命はどうしても短くなるので、桜守たちが必死になって守っていく。年1回その晴れ姿を見せるためだけに、生命を削っていくのはこの世の定めながら、これだけ日本人の心をとらえて愛されてきたのだから、きっと幸せにちがいない。私もそういうものになりたい。
今日、国立劇場の3月花形歌舞伎公演が千穐楽を迎えた。愛妾お蔦と宗五郎女房おはまの2役を見事に演じた孝太郎丈を労うかのように、劇場の前庭では珍しい桜たちが花をつけて待っていた。「国立劇場さくらまつり」は来月5日迄。

「エコグラムによる性格診断」というサイトに引っ掛かったので、試してみた結果、以下のような診断が出た。折角なので、私と付き合っていただく際の参考にぜひ!
<性格>
ほぼ理想に近いグラフ型で有ると云えます。理想が高く、倫理感や仕事に対する責任感も充実していて、しかも適度の思い遣りや寛容の精神も有り、非常に合理主義者で判断力や分析力も高く、感情面でも喜怒哀楽の表現が潤沢です。ここ迄は、結構ずくめなのですが、やや気儘な所はあります。しかしその方が仕事には強い意味合いが有りますので、やはりほぼ満点に近い性格で有る事は事実です。
<恋愛・結婚>
現在の様な物の考え方のバランス状態を狂わさない限り、性格的な欠陥によって恋愛や結婚の破綻する確率は非常に低いでしょう。但し、それは相手も高いレベルか、平均的レベルの人を予想した場合の事で有って、逆に大きくバランスの崩れた相手と結婚した場合には、判断力が高く行動力が旺盛なので、いとも簡単に離婚へ踏み切るような場面が出て来る事も考えられます。
<職業適性>
性格面からは一般的な職業の全てに適性が有ります。逆に云えば特異な性格の持ち主の方が却って適性のある特殊な職業では、逆に適性が乏しいと云う事になりますので、そこの所を良く理解しておく必要が有ります。
<対人関係>
物の考え方や性格的な面から見て、格別に注意を払わなければならない様な点は、殆ど見当たりません。但し、或る問題、或る出来事で、貴方と周囲に人々が表面的には同じような考え、同じような行動を取っていたとしても、貴方の場合は、かなり高いレベルの判断や高いレベルの感情の動きで、そのような言動を取って行く場合が多いので、周囲の人々も自分と同程度の理解や判断の基に、そのような行動を取っているのだと云う風に解釈しない方が、賢明だと思います。
26/3/2009: 晴れのちくもり(東京)

京都の花街・祇園に春を告げる「都をどり」は、京の年中行事の一つである。137回目の今年の演目は「水映桜花絵巻(みずはえるさくらのはなえまき)」。先日の新聞では、舞妓や芸妓が新調の着物に袖を通して、衣裳合わせをしている様子が紹介されていた。
すでに知り合いからは、「都をどりに行ってくるわね」と自慢されている。色とりどりの華やいだ雰囲気に、私も心だけはすっかり「お茶屋遊び」気分ながら、そのパラダイスにはまだ手が届いていない。
当方は墨東暮らしの身。隅田川にいるのは「都をどり」ならぬ都鳥ばかりで、京の華やぎが羨ましいかぎりだ。すぐ近所には向島という花柳界がないわけでもないが、今はママチャリで走り過ぎるのが関の山。私の場合は、走り過ぎた先に目下のパラダイスがある。浅草、そして銀座だ。

23/3/2009: 快晴(東京)

牡蠣は脳の働きをよくするらしいので、広島産の大粒を惜しげなく使って、地セリと牡蠣のチヂミを作った。縮んだ牡蠣は見ているだけで侘しくなるので、あまり火を入れずに半生の状態で仕上げた。まるでクリームのような甘い牡蠣が、香気なセリと見事にコラボレートする。ドレッシングは厚岸産の牡蠣醤油をベースに、酢とすだち、ごま油、一味唐辛子を混ぜたもの。
その美味さを実感している間は「運悪く当たっても悔いなし」と思うものだが、今晩はどうやら運が悪かったようだ。ヨモギを使ったフーチバー・ジューシー(ヨモギ入り豚肉炊き込みご飯)で解毒を兼ねたつもりが、その効果はまったくなかったようだ。
実のところ、牡蠣にはよく当たる。よく牡蠣に当たった人間は「二度と牡蠣は見たくない」と口にするが、それほどの激しい痛みと痙攣だから無理もない。
私はそれでも食べている。お好み焼き屋で牡蠣を入れない店は許せないし、韓国料理屋で牡蠣を酢味噌で和えたカキフェが出ないとがっかりだ。カキフライは大の好物だ。フランス留学中は、大西洋の漁港ル・クロアジックまでTGVに乗って行き、厳冬の中で貝を開けて牡蠣をすすったこともある。シンガポールで当たった時は、さすがに死ぬ恐怖を感じたが、それでも一晩悶絶した後は、ジョホール水道を渡ってマレーシアで屋台の牡蠣料理を食べていた。
私の中では「たかが牡蠣、されど牡蠣」的なところがあって、「運悪く」当たったとしても、牡蠣とは一心同体でありたいと思うのだ。シンガポールでの惨状よりひどいことにはなるまい、そういう精神的余裕さえある。だから牡蠣に当たった時は、苦しいがどこか嬉しくもある。牡蠣はサディスティックなやつである。
22/3/2009: くもり後雨(東京)

軽く酔った深夜の「もらい口笛」はいいものだ。後方から聞こえてくる誰かの口笛に合わせて、知らずのうちに口で笛を吹いている自分だが、彼よりもずっと口笛上手だと気づいた時、私は相当酔っていることを自覚した。
それもそのはず、泉ガーデンに入っているオフィス設計でのコンサートを聴かせていただいた後、今夜はご近所「長屋茶房・天真庵」での恒例行事に参加。日本酒に芋焼酎に、4時間以上はストレートで飲んでいたことになる。
今日の「タイムドメイン」は、餅つきで始まった。何の変哲もない臼と杵も、この店にあるというだけで、どこか骨董品のような燻し色を発するから不思議だ。
自家製のゆで小豆と美味い納豆で振る舞われたつき立ての餅には、たくさんの幸せが詰まっていた。餅を分けながら食べていると、幸せをお裾分けしてもらったような気持ちになる。S君とMちゃんは昨日結婚式を挙げたばかり、結婚が仮決定したYちゃんは喜び満開、これから手術を受けるIさんは気の早い退院前祝い、私の両脇にはいつも美食を提供・紹介して下さるNさん、そして大ファンでもある豊竹嶋大夫さんの娘さんとの出会い等々。
22/3/2009: くもり後雨(東京)
朝一番で千葉からお野菜たちが届いた。「開いてみてのお楽しみ」的な玉手箱には、様々な草が詰められていた。今回はアスパラガス、春キャベツ、スナップえんどう、ニラ、セロリ、菜の花、ほうれん草、わらび、よもぎ、せり、クレソンなど計17品目。この1か月ですっかり大地が目覚めた、そういうラインアップだ。
今回の手紙には、娘さんからのメッセージも添えられていた―「P.S. よもぎはサービスです。ひみつの谷でお父さんと妹で採ってきました」。娘さんたちが「秘密の谷」と呼ぶ場所は清水が滾々と湧き出しているらしく、今回送られてきたセリやクレソンもその「秘密の谷」で採ってきた自生のものだと記されていた。
私のクレソン好きは相当のものだ。私が山中湖を愛するようになった最大の理由は、山梨県道志村のクレソンとの出会いだったのだが、ステーキの付け合わせなどではない、クレソンだけのサラダを食べてからというもの、その鮮烈な香りの虜になってしまっている。その香りはイタリアンパセリやパクチーの比ではない。
そのクレソンサラダとは、湖畔にあるイタリアンレストランで出会った。まるで鳥の巣のように盛られたクレソンにはカリカリに揚げられたベーコンが載っており、その油を含んだドレッシングは苦味を優しく包み込むものだった。
私はあの感動を再現するのにいつも腐心するが、今回は素晴らしいクレソンがインスピレーションを高めてくれた。赤唐辛子の辛味をしっかり出してからベーコンを揚げ、塩はシチリア産のものを使い、3色の胡椒で香り高いものに仕上げた。ブラックオリーブがクレソンにさらなる気品を与えてくれるので、一層の円熟味を増したサラダとなった。
20/3/2009: くもり時々雪(千歳)

「もみじの会」が高齢運転者の集いではないことは断言できるが、ではなぜ「もみじの会」と呼ぶのか、実は私も知らないまま8年目のお付き合いとなる。「もみじの会」は今回で25年目の発表会を迎えたことになるが、あと2年も経てば、私にとっては10年来のお付き合いということになる。
話は2001年から始まるのだが、その前年に受けた「第3回クララ・シューマン国際ピアノコンクール」での上位入賞がきっかけで、昔住んでいた札幌で10年ぶりのリサイタルを開いていただいた。そのチャンスを下さったのが今日のエルム楽器の寺田社長だった。今日の私を考えると、社長には一生分の恩義を受けたことになる。
その時のリサイタルは、「凱旋」という文字で各新聞の記事に躍った。演奏したのはザ・ルーテルホールだったのだが、奇しくも1992年に札幌を発つ時に「さよならコンサート」を催していただいたところだった。そして今年8月には、このホールで久しぶりにリサイタルを開く。15年前にまるで雷に打たれたかのように感動した、シューマンの『ピアノソナタ 第1番』を柱としたプログラムで臨む。
さて、その「凱旋」リサイタルの時に来て下さっていたのが、「もみじの会」の主要メンバーだった。帰りの千歳空港までわざわざ送迎に来て下さったことは、すっかり昔話の一頁となってしまったが、その時はまだ幼顔だった「もみじっ子」たちも、来月にはすっかり高校生や大学生だ。
余韻が続く2002年、「ちとせ生涯学習人づくり助成事業」ということで千歳市から助成金を取って下さった「もみじの会」が主催となって、「千歳市民のための音楽教室」を用意して下さった。その会場が千歳市民文化センター・中ホールで、私の千歳デビューということになった。午後から公開レッスン、夜はリサイタルという企画内容は、今日でこそすっかり私の「定型」となっているが、実はこの時が初めての試みだった。
その後は、札幌だけでなく千歳でもずいぶんとコンサートを重ねてきた。毎夏恒例となった千歳市立北陽小学校の「土曜の楽校」でのコンサート、2006年のエルム楽器千歳支店でのサロンコンサート、そして2007年には千歳での初開催となったJPC(ジュニアピアノコンサート)のゲスト演奏など。
その一方で、俗に「千歳一軍」と呼んでいる生徒たちにも恵まれて、まるで集団生活のように喜怒哀楽を共にしてきた。
「もみじの会」発表会でゲスト出演させてもらうようになったのは、2007年からである。当時改装中だった千歳市民文化センターに代わって、隣接する千歳全日空ホテル(現・ANAクラウンプラザ千歳)で開催した時は、私へのご支援を下さっていた札幌全日空ホテルの仲介によるところが大きかった。
そして2008年の発表会では、私のゲスト演奏に関してLeopalace21がスポンサーになって下さったので盛大な会となったが、何よりの想い出となったのは、2台ピアノを並べて千歳一軍の精鋭3名とミヨーの『スカルムーシュ』を共演したことだ。
今回の25周年を「お祭り」にしようという計画は、昨年の発表会が終わった時点でほぼ決定していた。そして今日、新旧老若を問わず編成された千歳一軍の7名との連弾が第4部に組まれた。それぞれの「生き様」とも言える個性的な演奏を存分に発揮してくれた連弾の部は、私にとっても感無量のひと時だった。
人生というのは、自分が考えているよりずっと多弁なものだと思っている。多くを生きれば生きるほど、その「生き様」は雄弁なものとなる。4分の1世紀といえば、ちょうど私の人生がすっぽり埋まるような年月の経過である。
千歳では「もみじの会」がその歳月を生きていた。多くの出会いがあり、多くの別れがあったことだろう。「もみじの会」それ自体がまるで生き物であるかのように、そして私自身もそうした「もみじの会」に惹かれていった一人である。
一人の力は大きい。「もみじの会」の種を巻いたのが一人であるように、長い歩みを伴った歴史を作れるのも、そうした一人である。有名になることや何かを成功させることが必ずしも「歴史」ではない。「ピアノをやっていてよかった」、そう思う人を一人でも多く育てることが、偉大な一人の力なのではないだろうかと思う。だから、私はそういう一人になりたいと思っている。

19/3/2009: くもり(千歳)
16日、月曜日。10時から17時まで千歳一軍の集中レッスン。
17日、火曜日。13時から札幌にて全国二期会サミット・コンサートの合わせ。JR北海道でも「Suica」が使えるようになったので、私のキャッシュレス生活にさらなる拍車がかかる。18時から千歳一軍のレッスン。
18日、水曜日。釧路から通ってくる生徒を皮切りに、11時からレッスンが続く。17時から22時までは、千歳市民文化センターでホール練習。千歳一軍の8名のソロを聞き、連弾の合わせをする。夜食はエゾ鹿肉をデミグラスソースで煮込んだもの。
19日、木曜日。午前中は千歳市民文化センターで、今回使用するスタインウェイの不具合について調律師さんと話し合い、当面の応急処置を施していただく。16時から千歳一軍のレッスン。夜は前夜祭のはずだったが、参加者の家族に急病人が出たので、急遽‘Wii Sports’でのボーリング大会になる。
15/3/2009: くもり(千歳)
9日、月曜日。ランチに神戸牛の炉焼ステーキをご馳走になってから、15:00神戸発JAL3305便(class J)にて千歳入り。到着まもなく、17時過ぎから21時まで千歳一軍のレッスン。
10日、火曜日。13時から札幌にて全国二期会サミット・コンサートの初合わせ。夕刻に平岸ゴールデン街の「えぞ前 立喰鮨喰兵衛」、夜は札幌ら〜めん共和国の「麺処 白樺山荘」で食す。日没と共に降雪が本格的になる。札幌泊。
11日、水曜日。噂に聞いていた恵庭の「pizzeria e trattoria cervo」でランチをいただくが失望。16時から千歳一軍のレッスン。夜はマネージャー宅にて、鱒のるいべや自家製たらこなどで焼酎を傾ける。
12日、木曜日。午前中は美容室でヘアカット。車の迎えが来るまでに‘iPhone 3G’の契約を済ませる。16時から千歳一軍のレッスン。夜はマネージャー宅にてお好み焼きパーティー。
13日、金曜日。10時から19時まで千歳一軍の集中レッスン、連弾の合わせも兼ねる。
14日、土曜日。さっぽろ朝市での買い物を手伝い、予約して下さっていた「鮨の魚政」で、朝からこれでもかという贅沢の限りを尽くす。12時20分からはエルム楽器本社での特別クラス、第5期(2009年度前期)は新規生徒が3人増。17時35分終了後、札幌泊。
15日、日曜日。昨日に引き続きエルム楽器本社での特別クラス、9時30分から15時55分まで。札幌市内の某所で、お世話になっている方々の還暦をお祝いするパーティーで演奏する。HTBのアナウンサー2名による詩の朗読とピアノのコラボレーションで開会。その後は美酒美食美談の宴となる。

8/3/2009: 快晴(三田)

今日は柳本周介さんが塾長を務められる将来塾の卒業式で、30分ほどのミニコンサートを用意していただいた。鈴鹿8耐レーサー・石川朋之さんは昨年も来られていたが、今年は元東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン・石井広三さんもゲストとして来られていた。
折しも、バンコクでは辰吉丈一郎が7回TKOで惨敗していた。ボクサーライセンス取得が認められず、日本では試合のできない辰吉が、元WBC世界バンタム級王者のプライドをかなぐり捨てた臨んだ復帰2戦目だったが、そこにいるのは私たちが憧れた「強い」辰吉ではない、「弱い」辰吉だった。
38歳の辰吉の顔がパンチを受けて歪む姿は、見るに忍びないものだ。なぜ惜しまれつつ花道を去らず、醜態を晒してまで現役続行にこだわり続けるのか、これまで理解できずにいたボクサーの執念のようなものが、石川さんの話を聞いていて分かったような気がした。石川さんも「世界が取れる」と目されながらも、難病を押してまでファイトしたWBC世界スーパーバンタム級王者オスカー・ラリオスに敗れて、惜しまれつつ引退したボクサーと聞いた。人生はいろいろ、しかし夢はいつまでも一つなのだと感じさせられた。
7/3/2009: 晴れ(三田)
暖かい雨の昨日は西宮でレッスンだったが、今日はまず御影の楽器店でレッスンをしてから、神戸ポートピアホテルに入る。菜種梅雨も中休み、ピアノを弾くにも聴いていただくにもいい日和だった。
国際ロータリー第2680地区の2008-2009年度地区大会における「青少年の集い」で、オープニング演奏をさせていただき、200名を超える方々に聴いていただいた。
最近は縁あって、関西で活躍されている名士の方々に演奏を聴いていただき、お話させていただく機会が多い。その縁が四方八方で結ばれていくので、まるで500人程しかいない村に住んでいるようにさえ思われる。もっとも、コアな人間関係とはそういうものだと思っているが、それにしても世の中というのは実に狭いものだ。
終演後は座敷を移り、閉店後の某プライベートルームに駆けつける。ここでもいつも大変お世話になっている方々が揃う。私が関西に戻っているのを聞きつけ、昨日セッティングして下さった飲み会である。そういうわけで、心置きなく終電まで酒を酌み交わし、男と女の話に終始した。
5/3/2009: 晴れ後くもり(三田)

今日は青天に映える富士山を望みながら、送られてきたばかりの長谷川等伯についての資料を読み耽る車中。5月末に彼の故郷・七尾で、等伯を偲んだトーク&コンサートが企画されており、私と学芸員との対談も予定されている。来年は等伯の没後400周年ということで、郷里の七尾はずいぶんな盛り上がりを見せていると聞いている。
4月25日から開催される石川県七尾美術館の「生誕地・没後400年記念前年祭 長谷川等伯展 〜信春から等伯への軌跡〜」では、長男久蔵筆の国宝『桜図』と等伯筆の国宝『楓図』を綴れ織りで見事に表現した、京都祇園祭浄妙山懸装品も特別公開されるということで、私にとっても大変に楽しみな仕事となっている。
最近はそういうわけで、これまで以上に安土桃山時代が私のブームになっているのだが、水墨画は見れば見るほど、色褪せないその墨の艶にどんどん惹かれていく。蒔絵にせよ陶磁器にせよ、時を経るほどに一層の輝きを増していく芸術に、人間の叡智と自然の偉大さを思い知らされるのだ。
日本における水墨画の歴史も息が長いものだが、殊、富士山に関していえば、現代に生きる篠田桃紅さんの画を大変素晴らしく思っている。
私にとっては久しぶりの早起きで、東京7:56発こだま537号で西進。「のぞみ」のスピード感に慣れてしまうと、確かに「ひかり」も「こだま」も遅く感じられるものだが、物は考えようで、ほとんど乗客のいないグリーン車で悠々自適に過ごす時間も悪くない。「ぷらっとこだまエコノミープラン」、私のような人間にとっては貴重なプランかもしれない。
予定より1日早く関西に帰った理由は、京都にある。京都で下車して在来線に乗り換えて、以前から行きたいと思っていたアサヒビール大山崎山荘美術館を訪れるべく、京都から在来線に乗り換えて、山崎で降りた。(途中)

3/3/2009: くもり後雪(東京)
13年前の話になる。仙台から神戸に引っ越して、編入学した高校に通い始めたある日、季節外れの大雪が降ったことがあった。鵯越の急勾配にせり立つソメイヨシノだが、ほとんど葉桜となっている枝に雪がたわわに積もり、ピンク・緑・白の3色で華やいだ景色が印象的だった。
私はこの日、Yちゃんという同級生に一目惚れをした。クラスは違ったが、いくつかの授業が一緒だったので、やがて手紙のやり取りが始まった。彼女はとても本が好きだったので、私も村上春樹をずいぶん読んだ。
一年間続いた関係だが、結局のところ気持ちを伝える勇気がなく、卒業式の日に帰路を歩んだのを最後に、彼女とは一度も会っていない。彼女の進学先を知っているだけで、それ以外の消息は一切知らない。
大学生活が始まってまもなく、その彼女から手紙が届いた。いつもは花型に折られた便箋だったので、消印が押された切手の付いた手紙は初めてだった。そこには一節の詩が綴られているだけで、その刹那的に感じられた手紙が一体何を伝えたかったのか、私は未だにその真意が分からずにいる。
それから4年後、私が最初に結婚したのは、彼女のお姉さんの同級生だった。人の運命というのはつくづく分からないものだが、それ以来、春の日に雪が降るたび、私は彼女のことを想い出すようになった。
2/3/2009: 快晴(東京)

北十間川に面した道が工事に伴って閉鎖となって久しいが、いよいよ東京スカイツリーが姿を現してきた。何しろ610.58mという高さが予定されているから、「根っこ」にあたる3本の塔体鉄骨は相当の大きさだ。2011年12月に竣工したら、鉄塔としては建設中の広州タワーの609.6mを上回る世界1位、建築物としては同じく建設中のブルジュ・ドバイの818mに次ぐ世界2位になる予定とのこと。
昨夏に着工してからというもの、押上駅前の建物は次々に壊され、東京に帰ってくるたびに景色が様変わりしていく。おそらく私は新しい東京スカイツリーから最も近くに住んでいるピアニストということになるのだろうが、私自身の生活は何も変わっていない。もっとも、この「樹」が伸びていけば巨大な日時計ができるわけだから、昼下がりに私のマンションは陰で覆われることになる。
たしかに今は居心地のよい「陰」かもしれないが、ここに「根っこ」を下ろすことはないと思っている。私はいつも隠れるところのない荒野で戦いたいので、血が求めるのはやはりヨーロッパのような戦場だ。
この新しい「樹」が、閉塞感の漂う日本を貫くような、夢の建物になってほしいと思っている。あと3年近くは厳しい時代が続くのだろうが、この「樹」の頂上から天空の眺めを見た後、私はこの「陰」から巣立とうと考えている。これは励みであり、決意である。
1/3/2009: くもり時々雨(東京)
2月に仕事を詰めすぎると、大変なことになる。大病を患ってひどく苦しんだ経緯があるので、「仕事はしない」と腹をくくっている。昨年の今時分は、ビジネスクラスでグアムに飛んで、一人で羽を伸ばしていた。それでも、さすがに半月は働いた後の話だ。
しかし今年の2月は、本当に働かずに、連日連夜を趣味で生きた。恐慌の世に大層な身分と思われても仕方ないが、これは自分自身を再構成するための不可欠な時間なので、毅然とした態度でありたい。
しかし、それも終わってしまえばあっという間。やはり2月は足早に逃げていくものだ。まだ観たいもの、調べたい事物、考えたいことは山積で、今日も字余り的に楽しんだわけだが、濃密な時間はあまり長すぎない方が都合よい。だから2月は短くできている、そう思えば明日から頑張れる気がする。
今日はイ・ユンテク(李潤澤)演出の『オセロー』を、東京芸術劇場で観た(公演詳細はこちら)。シェイクスピアの原作を下敷きに、日本の夢幻能と韓国のシャーマニズムが融合した新しい「オセロー」の世界があった。
機会があれば、ヴェルディのオペラ(『オテロ』)と併せて、そのドラマトゥルギーや仕掛けについて考えてみたいが、そういう時間も残念ながら今日で終わった。

会場: ジュサブロー館
開館: 10時〜16時30分(休館は毎週水曜日) ※鑑賞日は2009年2月22日(日)
最近は外出するときまって呉服屋の暖簾をくぐる。入るだけであればただなのだが、呉服屋独特の匂いを吸った瞬間、「これも欲しい」「あれも欲しい」と無分別な発情を促される。その麝香のような匂いに眼鏡を曇らされると、広げられる反物はすべてが輝いて見えてしまう。これが怖いところで、巻き髪の女性が皆一応に美人に見えてしまうのと同じ危険性だ。
ところが一旦魔法が解かれると、輝いて見えていたはずの着物にも関わらず、ほとんど印象に残っていないことがよくある。着物を楽しむようになってまもない私だが、銀座であれ京都であれ大阪であれ呉服屋に入って思うことは、目を介した記憶がいかに曖昧なものかということだ。
一方で、指先の感覚というのは実に正直なもので、指先が覚えた記憶はいつまでも温度を保っている。「着物は指先で覚えておくといい」と教えられたが、まったくそのとおりで、いいものを触らせていただいた時は、指先が真っ先に喜ぶ。見た目の色や柄が気に入っても、いざ触ってみるとピンと来ないものも多い。概していいものは官能的な触感がするもので、楽器を扱う人であればおそらく共感してもらえると思う。
着物は贅沢にして究極のオートクチュールだ。それゆえに、着物は着る者の欲望の化身でもある。ほとんど憑依した情念のようなものを多分に吸い込んだ着物は、ますます色艶を増していく。妖刀伝説があるように、着物にも魔性を帯びた話があっても不思議ではない。
昨夏にサントリー美術館で開催された「初公開 松坂屋京都染織参考館の名品 小袖 江戸のオートクチュール」は、まさにそういう魑魅魍魎のオールスターが勢揃いした展覧会だったと思っている(過去記事はこちら)。あの妖気に私はやられたのだと思うが、着物にとり憑いたものが何だったのか、最近になってその「姿」を見てみたいと思うに至った。あるいはそのことが、私を着物へと誘った「事の始まり」であるような気さえする。
先日、私はその「姿」を気配で感じた。人形町のジュサブロー館に入った瞬間だった。ジュサブロー館は辻村寿三郎さんの人形館なのだが、ここを棲み処とする人形は皆、まるで生きているような表情を見せる。生き生きとしているというよりは、あまりに生々しい印象だ。
人形たちの傍らで、寿三郎さんは新しい人形に向かう。柔らかい素材に目が彫られ、鼻が作られていく。皮膚には縮緬が丁寧に貼られ、美しい古裂を自在に使った着物が着せられる。人形に生命が吹き込まれていく過程は、どことなく性的な雰囲気を漂わせる、官能的な仕事ぶりである。うっとりと見惚れてしまう技なのだ。
寿三郎さんの仕事が人形に生命を与えることならば、それは愛にほかならない。生命を吹き込まれた人形も、生きているかぎりは感情の生物である。傍らで制作に没頭する寿三郎さんをじっと見つめながら、ただひたすら慕情を訴えているようでもある。叶わぬが運命の人形と人間の恋、それゆえに一層輝き放つ美しさなのかもしれない。
彼女たちの姿態はいずれも愛くるしく、瞳には不思議な透明感がある。この館に入って感じた視線は、まさに生きた人形のものだったわけだが、その瞳に映し出されているものこそ、彼女たちの情念の「姿」なのではないかと思うのだ。
この館には、いつまでも待ち続ける人形の、永遠の視線が渦巻いている。「この世」に戻ってきた時、私は軽い眩暈に襲われた。
27/2/2009: くもり時々雪(東京)
水分をたっぷり含んだ雪が落ちてきた。昨晩から天気図を見ながら、今日は雪が降るかもしれないと思っていたのでシテヤッタリ。そんな午前中のBGMは、ヘルマン・プライが歌う『冬の旅』。
いわゆる春先の南岸低気圧が通過する時、東京は雨になるか雪になるかの判断が難しいとよく言われる。見極めるために目安となる条件が幾つかあるのだが、天気学を少しかじった程度の私ではとても無理な話だ。だから低気圧が父島と伊豆大島の間を通るようであれば雪、勝手にそう思うことにしている。
東京に引っ越して初めての雪なので、当たって嬉しい豆鉄砲。冬の江戸といえば、歌舞伎の舞台はきまって雪景色なので、今宵は『雪暮夜入谷畦道』(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)のような下町情趣を期待したい。もっとも都心にとっては、大変迷惑な話なのだろう。
雨が続いて肌寒かったこの一週間は、ママチャリに跨って刺激的な毎日を過ごしていた。二月大歌舞伎や展覧会の数々、そして呉服屋や図書館にも通い詰めたので、自分の中でファンタジーがまた一段と拡がった。友人たちとはグルメに興じて、相変わらず料理の方にも熱が入っている。今晩の『修道女アンジェリカ』、明後日の『オセロー』もとても楽しみな舞台だ。
ところが実は、昨日から風邪気味でしんどい。小雨と侮って濡れていたせいだろうが、風邪をひいてしまっては元の木阿弥。内服薬はあっても乏しい学習能力に付ける薬はない。
今日はさすがに傘を持参するが、どうせなら弁天小僧のようにパッと広げて肩に担いで差したいものだ。もちろん番傘もいいのだが、男の蛇の目傘というのも悪くない気がするが如何?
24/2/2009: くもり時々雨(東京)
東京の下町は月島、いかにもという小路からは荷風がひょっこりと姿を現しそうだ。月島と聞けばもんじゃだが、グルメ通のMちゃんに言わせると、「ほていさん」のあんこう鍋とのこと。なかなか予約が取れない店なので、Mちゃんがずっと以前に予約を入れておいてくれた。今宵は5人で、至福のあんこう鍋と洒落込んでみた。
何よりもあんこうが好きなので、鍋といわれたらあんこうを所望するのが、私のささやかな贅沢である。「西の河豚(ふぐ)、東の鮟鱇(あんこう)」と言われるとおり、何処彼処でも満足できるあんこうと出会えるわけではない。その分だけ、美味いあんこうと出会った旅のことは、終生忘れられないものとなる。
ふぐとちがって、あんこうは捨てるところがなく、部位ごとにそれぞれの食感が楽しめる。それゆえに、「あんこうの七つ道具」と尊ばれる。
正肉部も然ることながら、あんこうの醍醐味でもある皮部の美味さには、ただただ驚嘆するばかり。豪快すぎるあん肝の量にも絶句だが、雑炊にしてもらった時は感動で仰け反ってしまうほどだ。
それにしても、「ほていさん」は気難しい店だ。暗黙の決まり事が多くて、食べるペースまで完全に店に仕切られる。とにかく量が半端ではないので、刺身だけでお腹が苦しくなる。刺身が温もるからという理由ではなく、足早に鍋の用意を始める。鍋を置く位置も決まっているらしく、少しでも手を触れてはいけない。鍋のおかわりも自分ではできないので、有無を言わさず椀に注がれる。
ここの鍋を囲むには、心身共に準備が必要だということを学んだ。S君は朝食に饅頭を1つ食べただけというし、Mちゃんは午前中のうちにジムへ通ったという。Y君は運転手を兼ねていたので、ビールを飲まなくて正解だった。「ほていさんに来て、ビールを飲みすぎるな」、この教えだけはどうやら厳守すべきだ。

24/2/2009: くもり時々雨(東京)

コレクションというほどのものではないが、一人暮らしをしているとお酒の所蔵は多くなる。消費が早いワインや日本酒などは増えて困るものではないので、いただきものとしては大変にありがたい。ところが時間が経つと、何を持っているのか忘れることも少ない。
台所下を整理していると、札幌酒精の「ミルク酒」が出てきた。北海道は釧路よりさらに東、中標津の牛乳を主原料としている焼酎である。ホエー(乳清)を特殊な製法で低温蒸留して作られたものという。お酒自体は無色透明なのだが、盃を傾けてみると、まるでソフトクリームを食べた後に口の中で広がる香りと同じである。あるいは「乳臭い」と言うべきものかもしれないが、貝の刺身とは妙に合う。
いつどこで手に入れたものかまったく覚えがないのだが、今年の夏に中標津で公開レッスン&コンサートを頼まれているのが何かの縁で、出てきたお酒かもしれない。
ホエーといえば、私が今使っている石鹸もホエーが主成分になっているものだ。弓削牧場のもので、以前の実家からは徒歩圏内にあったのだが、芸能人もよく訪れるらしく、今ではすっかり隠れた神戸の名所になっている。
ここのレストランはとても美味しい。最近いただいたのはホエーシチューだが、トルコ料理に近い風味が新鮮だった。園内で育てている自家製ハーブを使った料理もいい。特に美味しいのがフロマージュ・フレ(生チーズ)で、これは常備しておきたい一品でもある。
北海道ではよく知られているが、ホエーを食べて育った「ホエー豚」は大変な美味だ。帯広の「北の屋台」でホエー豚の豚丼を出す店があるのだが、他のどの店で食べた豚丼より甘くて柔らかい肉だったのを覚えている。ホエー豚でしゃぶしゃぶをいただいた時も、たしか同じように感動したはずだ。
このホエー豚をぜひ手に入れたいと思っている。調べたところ、中標津には「ミルキーポーク」と呼ばれるものがあるらしく、このホエー豚で作ったパンチェッタはさぞかし美味いにちがいない。コンサート後のお土産にできればいいなと、今からまだ見知らぬ地に期待が募るばかりだ。
22/2/2009: 晴れ後くもり(東京)

バルセロナといえばサグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)だ。訪れるたびに成長を続けている、まったく奇跡の建築物である。
サグラダ・ファミリアには4つの門があり、現時点で完成されているのが「生誕の門」と「受難の門」の2つである。東を向いている「生誕の門」のはイエスの降誕から青年期までの物語を表現したものだが、その美しさを形容する言葉は見つからない。15体の天使像が置かれていたり、装飾的な彫刻がとても多いのが特徴だが、これは建物を構造的に補強する役割も兼ねているから、ガウディの天才に驚かされるばかりでもある。
「生誕の門」を支えている2本の大きな柱だが、その足元には亀がいる。海亀と山亀の彫刻である。地に足を踏ん張るどっしりとした形が、柱の台座として適切なだけでなく、実は雨樋としての機能も持っている。「生誕の門」に降った雨水が2本の柱に集められ、その中を通過して、亀の口から吐き出される仕組みだ。しかも、この彫刻は「サグラダ・ファミリアを亀のようにゆっくりとでも、休まずに作り続けていこう」という大切なメッセージを伝えるシンボルにもなっているという。
日本には「石亀の地団駄」という言葉がある。雁が飛ぶ姿を見た石亀が、自分も飛んでみたいと試してみるがまったく飛べない。そのことを悔しがる様をいう。
小さな頃からあらゆる点で劣等感を抱えてきたせいか、この亀の気持ちは理解してあげたいと思うのだ。鳥は鳥で深い悩みを抱えているのだろうが、大空を自由に翔いてみたいと思ったところで、やはり誰もが鳥になれるわけではない。羨ましくも妬ましく思うのは、やはり仕方のないことだ。
だからこそ、30歳の今年、私はサグラダ・ファミリアの「亀」に肖って、「泰然自若」をモットーにしてみた。「亀」はあくまで象徴的存在なので、縁起物としての銭亀でもあっても、京都の知恩院で見られるような火災除けのお守りであってもよい。
「亀」に身を窶してでも、牛歩千里を行くような30代でありたいものだ。「亀」は非常に長生きでもある。
20/2/2009: 雨後くもり(東京)
空騒ぎするのも疲れるもので、やはり鬼門の2月は底が深く暗い。精神的に浮上のきっかけをつかめられる週末になればと思っている。歌舞伎を見たり、呉服や履物の店に出掛けてみようと考えているが、「和」に傾倒すればするほど、ヨーロッパ在住時に全身でぶつかってきた頃の懐古の情が募るばかり。
少し気持ちを整理していこうと思い、懐かしい旅行記などを当ブログに移行してみる。まずは2005年5月のローマ滞在記(一部)など。
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